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アメリカでの歴史

ラサ・アプソ(ラサ・テリア)については、遅くとも1904年には雑誌等のメディアで紹介されていました。

アメリカチャンピオン ラサアプソ
Hamilton Tatsienlu
それから約30年後、チベットを訪れたアメリカの大富豪サイダム・カッティング夫妻が、ラサ・アプソを国へ連れて帰った事が、アメリカでの始まりであるといわれています。

サイダム・カッティング夫妻は1925年から数年間、セオドア・ルーズベルト大統領の息子達と共に、
珍しい動物を探してアジアを旅行していた際、ネパールでイギリス陸軍ベイリー中佐のラサ・アプソ達と巡り会いました。
(ベイリー中佐・1928年にチベットから数頭のラサ・アプソをイギリスに輸入)
1933年チベットを訪れたカッティング夫妻は、ダライ・ラマ13世から、まず2頭のラサ・アプソを授かることとなりました。
ダライ・ラマ ラサ・アプソ

以後、同夫妻はダライ・ラマ法王が世に不在の間、摂政に任命されたレティン・リンポチェや、現ダライ・ラマ法王である14世からもラサ・アプソを授かり、アメリカへ輸入したといわれています。
1935年、ラサ・アプソはAKCにテリアグループの犬種として認定登録されました。
(1959年以降~現代はノンスポーティンググループ)

1945年、第二次世界大戦終結後、イギリスに駐屯していた将士が帰国時にシー・ズーを連れて帰った事で、
シー・ズーがアメリカでも広く知られるようになりましたが、1950年頃、イギリスから来たシー・ズー7頭が誤ってラサ・アプソとして
AKCに登録され、ラサ・アプソとシー・ズーの混血種が出ることになってしまいます。
(イギリス側のミスでシー・ズーが、ラサ・アプソとして送られたという説がある)
しかしサイダム・カッティング夫妻、ハミルトンファームのラサ・アプソは、他のラサ・アプソとの交配が行われなかったため、
純血が保たれたままであったといわれています。
(一方、夫妻が1935年上海から輸入した2頭の牝は、ラサ・アプソではなくシー・ズーであった事が後に判明していると反論している人々もいる)
サイダム・カッティング氏のTHE FIRE OX AND OTHER YEARS

393p中約80pがチベットの話で、ラサ・アプソの話も少しだけ載っていました 
AMCH ラサアプソ 
CH HAMILTON TORMA
ラサ・アプソはアメリカで多大な人気を博したようで、1940年代「我が国では珍しい犬」と雑誌などで紹介されていましたが、年を追うごとに「人気のある犬」との紹介に変わり、仔犬情報も増えていました。
これには、ラサ・アプソのブリーダー達の多くの努力が注がれていたのだろうと思います。